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第11章 8月7日 夕日にたたずむ学友

風景  母、姉を見送り、玄関に入ると、そこに学友が立っていました。
「お母さんか?」
「うん、向洋の方から来たらしい。途中も大変な被害らしいド!」
「お元気でエエノオ。俺の家族はどうしタンジャロォカ? 爆発の煙柱が立っていた方に近いケン、早く行ってみたいンジャガ、途中どんな状況にナットルカわかラン言うて先生にも止められトルンジャ」
「もう2日目ジャケン・・・何とか行ケンカノ。母さん達が歩いてこれタンジャ!。先生にもう一度たのんでみィャ。なんジャッたら、俺も一緒に行ッチャルケン!」
先生も、2日目だから昨日よりも、落ち着いているかも?と言うことで、2人で行くならと許可してくれました。
 なるべく安全な道をと、まず、土手道を猿こう川沿いに広島駅方面に進みました。土手の両側の斜面には焼けぼっくいを並べたように死体が、ずっと遠くまでありました。ほとんどの人が、ひどい火傷で皮膚ははがれ水ぶくれで風船のようにふくらんでいました。まだ死にきれず、
「水・・・水・・・」と、
つぶやいている人もいました。
川面には死体がそこ、ここに流れていました。
親子なのでしょう:子どもが母親の腕に、しがみつくようにして流れていました。
「ひどいノオ!一体、何があったンジャロオ?」
 学友の足どりにあわせて、僕も思わず早足になりました。一刻も早く家に行きたい。あたりの状況から、学友のあせる気持ちが手にとるように伝わってきました。
 広島駅に近づくにつれ、惨状は一段と激しく家並みはくずれ、道らしき場所もなく、くすぶる焼け跡の横には、多数の死体が散乱しまともに歩くのも困難なほどでした。
 母も姉も、こんな所をよく通って来てくれたものだと、改めて驚きました。感謝しました。
 やっとの思いで広い電車通りに出ました。
電車は焼け落ち、鉄部分が赤茶けて、ひん曲がり車輪台の上に白骨がのしかかるように散乱していました。たれさがった電線をよけながら、荒神橋を渡り、荒神町の電車道を急ぎました。まっすぐ伸びるレールが、夏の日照りと、焼け跡の余熱でゆらゆらと、かげろうのように見えてきました。
 あたり一面、赤茶けた焼け跡が広がり、遠くの方までみわたせました。
 風にそよいでいた、街路樹の緑はなく、半分焼け残った幹は、まだかすかにくすぶり続けていました。電柱も同じでした。申し合せたように、爆風を受けた面はみんな、焦げていました。(後から知らされたことですが、原爆の光を受けた面が、ひどく焼けたそうです。)
 赤茶けたがれきの上を歩きました。がれきなのか、死体なのか、見分けるのも困難なほど焼けていました。プックラとふくらんでいるか、半分白骨になっているので人体だとわかる程でした。中には死んだときの格好のまま、炭のように黒くなっていました。
 時がたつにつれ、死体を見ても特別な感傷もうすれ、ただ一つの物体としか、見ていませんでした。また、流れる死体を見ながら、稲荷大橋を渡りました。川原では多くの人が、横たわりまだ、もがいている人もいました。でも、僕達は心の中で目をつむり、先を急ぎました。学友の家があった場所に近づくにつれ焼け跡には何もなくわずかな凹凸が続き、その先に2・3棟のビルがくすんで、かろうじて立っているのが見えてきました。わずかに残る道から判断し、学友は立ち止まりました。
「ここだったンジャ!」
「ここ玄関の石段ジャ!あそこが炊事場ジャ!」「ここが風呂場ジャ」
 焼け跡を、あちこち飛び回り、がれきをかき分けながら、
「父さん!母さん!春子! どこいったんジャ!どこいったんジャ!」
 悲しみと、何かに対する怒りからか、悲痛な叫び声をあげ、がれきを叩きつけ、叩きつけながら涙をながしつづけていました。僕も何もいえず、ただ一緒に泣きました。
 夕日があたりを、赤く染めながら遠くにかすむ山波みに沈んでいき、夕焼けの中、学友は空を見上げ、いつまでも、いつまでも立ちつくしていました。
 学友は、その後も幾度となく焼け跡に通い、ただ一つ、がれきの中から妹さんの使っていた、お茶碗のかけらを見つけてきました。
 きれいに洗い、布にくるんで、大切そうに鞄に入れ、いつも持ち歩いていました。