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第10章 8月7日 ひび割れた、ゆで卵

食用ガエル  父が帰ったあと、救助活動をしながら、考えていました。父が、僕の安否をあれほどまで心配してくれていた!母さんはなおのこと、どんなに心配しているだろう。生きていることを知ったら、どんなに喜ぶだろう!
 でも、今は知らせる手段は何もない!ましてや、被害状況もまったくわからず、ただ、しばらくは学友達と本校にとどまり救助活動をしながら様子を見るしか方法がないなァ:それが一番安全だと考えていました。
「お母さんとお姉さんが、こられたケン!すぐに行け!それにしても、どうやってここまで来られたンカイノオ?すごいことじゃノオ」午後3時半頃のことでした。
仮設病院の入り口に急いだ。そこに母と姉が、半泣き笑いの表情で立っていました。
「・・・・・・」
 母(当時41歳)は声も出さず、ただ僕の両腕をなでおろし、両手を痛いほど、にぎりしめ、揺さぶりながら、涙をながしていました。姉も(当時女学校2年生十六歳)僕の後ろから背中をなでながら、
「生きとッタンネ!生きとッタンネ、良かった!良かった」
後は言葉にならず、ただ無言で涙をながしていました。
やや落着いて、やっと姉が話し出しました。
「本当!よう生きとったネ・・・呉の方では、昨日中(8月6日)にかへってコン人は、みんな新型爆弾にやられタンジャ言うて・・・生き残っても体中、ひどい火傷の人が、ほとんどジャゲナ!人はもう住めんジャト・・・生きとっても火傷したモンは、みんな死んでいくゲナ、・・・そういってジャケン・・・もうたまらんようになって、とにかくさがしに行こうユウテ来てみたンヨ!会えて良かった!生きとって良かった!」
「だけど、途中(呉→広島約27`)平常汽車で約1時間どうやって来タン?」
「朝3時ごろ家を出て、ようやく汽車に乗ったら、途中の駅で降ろされて歩いていたら、広島に救助に行くというトラックに、頼んで載せてもらえて向洋からはトラックも進むことができず、そこから歩いて来たんョネ・・・だけどそこからの様子はもう、言葉ではいいつくせんヨネ・・・、地獄ヨネ!焦熱地獄!だから、あんたもとうに死んドル思うて、覚悟したンヨ。でも、『せめて骨だけでも、見つけて帰ろう』言うて母さんが、キカンケイ、2人ではげましながらここまで、来たンヨネ!」
 姉が一気に昨日からのことを、話してくれました。母はずっと涙を流しながら、僕の顔をじっと見つめていました。
「これ、食べンサイ・・・」
母が新聞紙にくるんだものを,差し出しました。
開いてみると、殻が小さくひび割れたつぶれかけの、ゆで卵が出てきました。
「途中、乗り物の中で、みんなに押されてシモウタ!割れトルケド、大丈夫じゃケンネ!」
母の顔に、ややほほ笑みが返ったようでした。
「そうだ、少し前、父さんが来てくれた!」
「そう、良かったネ。父さんも安心したジャロネ!、とにかく、生きとって良かったァ・・・」
心から、しみじみと出る本当の言葉だと僕は思いました。
「あんたの元気な顔見たケエ、安心して元気が出てきた。家の方も気になるケンネ、もう帰る! あんたも許可が出たら早う帰っておいでネ・・・」
しばらく休んで二人は、手を振りながら帰っていきました。
 小さく遠ざかる二人の後姿に
「神さま、仏さま、どうぞ無事で帰れますように!」
もの心ついて、初めて本当に心から手を合わせたことを今もはっきり思い出します。
残していってくれたつぶれたゆで卵の殻のひび割れが、母の笑顔のよう見えました。

※ この度、体験記を書くため参考にと、被爆2日目の広島に至る様子を、姉に取材して知らされたのですが、その日母は妊娠3ケ月、末の妹(加代子当年56歳)がお腹にいたそうです。
 戦後のうわさとして、被爆後一ヶ月以内に広島市内に入った人は少なかれ、原爆症にかかり、お腹の子も体内被爆しているので、成人になっても特別視されるそうでした。
 母はそのうわさを気にして、妹の成人後のことを考え、広島に行ったことを一切口にしなかったそうです。
 多少の体調不良もかくし、当然認定されるはずの「原爆手帳」も申請しなかったそうです。
すべて、妹の成人後のためを思ってのことだったそうです。
 妹も学生時代から体は弱く、人並みの体育活動はできませんでした。しかし、母の思いに気をつかい、そして感謝の心から、つらさは言わず母をあの世に見送りました。
 結婚はしましたが、子どもは授かることなく、さみしい晩年を迎えようとしています。
 妹も、かくされた核兵器の被害者であり被爆後57年いまだ多くの人々が、かくされた核の後遺症に苦しんでおられることを思うとき、生命ある、すべての為にも核兵器は無くすべきなのです。あってはならないと、強く、強く感じています。