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第11章 8月7日 夕日にたたずむ学友  <   第12章 お家に帰ろう…ネ

第12章 お家に帰ろう…ネ

地蔵  被爆3日目、朝早くから人の動きが、激しくなりました。近郊から救援隊が大勢で、来てくれました。
 僕達は、寮の倒壊後の警備交代のため、比治山近くの皆実町に向かいました。道端には多くの死体があり、救援の人たちがリヤカーや、大八車に山積みしては、川原で焼くのだと運搬していました。みんな身元も判らず、無縁仏となるのです。胸の名札など、焼けてしまい、何もありません。
「可哀想じゃノオ・・・肉親が血眼になって、探しトルンジャローニ。それ思うと、切ないノオ・・・戦争はやっぱりイケン!」
 救援活動している人が、口々に嘆きながら、作業していました。みんな同じ思いなのでしょう。だれも反論しませんでした。
 国防婦人会・銃後報国と書かれたタスキが、半こげのまま道端でヒラ、ヒラと風に吹かれていました。
 昼ごろ、K君のお母さんが田舎から来られました。
「Kですが!息子はどこですか?無事でしょうか?」
学友の一人一人の顔をのぞきこむように、訪ねまわられました。みんなK君の死を知っているので、よう返事ができないのです。
 厚い戸板の下敷きになり死んだK君は、身元が判っていたので一人だけ、寮の敷地の畑で、学友達の手で焼かれ、骨はバケツに入れられ、農機具小屋の中に、大切に安置してありました。みんな困っている時、先生が来られました。
 先生は黙って、お母さんを小屋に案内すると、目を赤くして出てこられました。小屋の中から、お母さんの泣き声がいつまでも聞こえてきました。
「ゆるしておくれ:ごめんヨ・・・」
さかんにそう言って泣かれていました。
何時間ぐらいたったでしょうか?
お母さんが、骨の入ったバケツを風呂敷で包み、胸に抱いて僕達のところに来られました。
「みなさん!ご無事でよかったですネ。この子は、こんな姿になりましたが、みんな私が悪いのです。帰省した時、いつもは元気よく寮に帰るのに、この度は『なんだか行きトウナイ!もう2・3日家にいたいなア・・・』と帰りそびれたのです。でも、私は『そんなこと言っては駄目。この非常時に、なまけ心を起こしてはいけません』と叱って、無理に寮に帰らせました。この子は今日のことを予感していたのかも知れません。虫の知らせと言うのでしょう・・・結局はこんなことになって::」
「ごめんヨ!ごめんネ・・・」
 骨の入ったバケツをなでながら、その場にうずくまり、激しく身をよじるようにして、泣き叫ばれました。
僕たちも、慰める言葉もなく、ただ、もらい泣きするばかりでした。
「どうもすみませんでした。たいへんお世話になりました。みなさんもお許しがあれば、一日も早く帰って、元気な顔をお母さんに見せてあげてください。それまでご無事でありますように!お祈りします。」
 学友一人、一人に頭を下げられました。
「さァ:お家に帰ろうネ・・・」
 胸に抱かれたバケツに話しかけるように、やさしくなでながら、くすぶり続けている焼け跡の中を帰っていかれました。細く、淋しさ漂うその背中に向かって学友誰一人言葉なく、だまって手を合わせて見送りました。
 切ない淋しい一日でした。
 一生忘れることのできない、せつなく淋しい思いでは、今も怒りとなって新鮮によみがえってきます。
 その後、しばらくの間、雨降る夜には、焼け跡のそこ、ここから地獄の送り火のような青い火が、チラ、チラと立ちのぼりました。
 無縁仏の悲しみか、運つたなく戦争の犠牲となった人々の怒りの炎か?
 声なき声に、耳かたむけて、 世界平和を祈ってほしい!
 そして、叫び続けてほしい!

ノーモア・ヒロシマ
ノーモア・ナガサキ
ノーモア・ピカ

 命あるすべての為に・・・。