"平和の原点"を見つめ、この地球から核と戦争をなくしましょう。
このサイトは、埼玉県坂戸市で毎年行われる「ヒロシマ市民の描いた原爆絵画展」の記録を掲載しています。
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「被爆アオギリ」の植樹運動

植樹風景
市内中学校での植樹風景

 原爆絵画展実行委員会は、ヒロシマに学ぶ埼玉子ども代表団を通して取り寄せた「被爆アオギリ」の種から苗木を育て、市内の中学校に植樹する運動を2001年より進めています。

 このアオギリの植樹運動は新聞で紹介されました。以下、2001年8月10日埼玉新聞記事を掲載します。

被爆アオギリ、坂戸で芽吹く

 今春、鮮やかな緑をした若葉が力強く芽生えた。母木は広島市で被爆したアオギリ。「被爆アオギリ」といわれ、原爆被害のシンボルとして国内はもとより、海外にも苗木が贈られてきた。育てたのは坂戸市内の市民団体「原爆絵画展実行委員会」のメンバー。
 9日の長崎原爆投下の日に際して、「アオギリを仲立ちに、平和を考えるきっかけとしたい」と話している。

平和を考えるきっかけに

 被爆地では放射能の影響で何十年も草木が生えないといわれていたが、原爆アオギリは翌年の春から芽を吹いたとされ、「生命力のシンボル」になった。絵画展のメンバーは、種28粒を入手、昨年11月3日に坂戸市内の実行委員各自宅に種をまいた。今年4月下旬に最初の芽が出て、次々と芽吹いた若葉は4株に。高さ10センチ前後に成長し、5枚から6枚の葉が広がっている。

 「種から育てることに意義がある」と同委員会代表で、元中学校教員の川崎正司さん、広島の平和への思いが具体的な形で広がっていくと期待している。「アオギリを育てていくうちに、平和や原爆のことをより深く考えるようになった」と言う。

 メンバーの一人で、坂戸市議の白石俊夫さんは、「被爆した木の子どもたちが元気に成長している。被爆アオギリの由来を子どもたちに伝えることで、原爆や戦争の恐ろしさを教えることができる」と話す。

 絵画展実行委員会は、今後も広島市から種を送ってもらい、希望する市民が里親となって苗木に育てることを計画、被爆アオギリの2世、3世を学校、公園に、また、街路樹として植樹して平和を訴えていきたいという。

 伊利仁坂戸市長は、「植物の生命力を感じた。原爆と戦争の悲惨さを子どもたちに教えるために、思いを込めてアオギリを育てることは素晴らしいこと。植えられる場所があれば検討したい」と前向きだ。

 母木の被爆アオギリ2本は、今も広島市中区の平和記念公園で大きな葉を広げている。「平和を考える木陰が街中にできれば」。メンバーの夢は広がっている。(杉野孝)

植樹風景
絵画展実行委員会メンバー(市内中学校植樹、校長先生・生徒さんと)
植樹風景
市内中学校植樹、移植を終えた校長先生と生徒会役員のみなさん
植樹風景
市内中学校植樹、記念撮影、生徒会役員のみなさんと