ホーム  > ひろしまにピカがきた
著者紹介ページへ  <   第1章 昭和20年8月6日(月)  >  第2章 赤い噴水

第1章 昭和20年8月6日(月)

金魚  青い空・白い雲、すぐ近くの比治山の森から暑い夏の一日を告げる湧き上がるような蝉しぐれが聞こえていました。
市内の七つの川はゆったりと流れ、チンチン電車もカタコトと走っていました。
「今日も暑くなりそうじゃケン早ヨウ行こうヤ」
一斑の僕達は二班の生徒に見送られて、本校警備のため午前6時30分頃寮を出発しました。
「頑張れヨ」「いってくるケェ」
やがて来るお互いの運命も知らず、明るい声に送られて寮を出発しました。
 当時の校則で、前夜0時以降まで警戒警報か空襲警報で起きていた場合は、授業は午後からと決められており一班とニ班の2つの班が交代で本校警備をするため、早朝登校していました。
 寮(皆実町・爆心地より約2k)と本校(東雲町・爆心地より約5K)間は約3K、急ぎ足の僕達は約四十分位いで着いていました。
 途中の道は、はじめ約1k位は街並みがつづいていました。空襲で燃え広がらないように、一定の幅を置いて建物をとりこわすそかい作業にも多勢の人が働いていました。学生、警防団、婦人会など男女を問わず汗して共同作業に従事していました。みんな防空ずきんを肩からかけ、男はゲートルを巻き、女の人はモンペ、みんな胸に名札をつけ住所と血液型も書いてありました。空襲のとき火傷を少なくするために夏でも長袖でした。
 白いシャツは空から目立つといって、みんな国防色がおおかったです。
 少し行くと大きな「防火用水」を移動させていました。セメントでつくった重い水槽です。
「オイ!学生さん、ちょっと手伝ってくれえヤ」声をかけられ手伝いました。
大きな防火用水だったので中をのぞいたら、水を底の方わずか残して抜き軽くしてありましたが、わずかの水の中でボウフラ除けの金魚が5・6匹泳いでいました。
「学生さんたちも暑い時はこの用水で汗をふいていきんサイ、水だけは近くの川から運んでいつもいっぱい入っとるケン・・・アリガト」声をかけた班長らしき人が明るく笑いながら敬礼しました。
「早ヨウ水を入れてやらニャ湯になってしまが。金魚がゆであがるよ!」僕は心の中で小さく叫んでいました。
 1k位過ぎると突然視界が開け、畑や田んぼ、そして蓮田の緑が目に気持ちよく飛びこんできます。その緑の中を一筋の道がのびています。その先に本校がきわだって見えてきました。
「あちこちの軍事都市は空襲されトルのに、広島だけ、何で無事なんジャロー?」当時のうわさでした。 途中でかすかに、爆音を聞いたような気がして、ひろしまの空を見上げました。
まぶしい青空でした。
登校報告をすませた僕達は、
「昼までゆっくり寝ようヤア・・・ゆうべも警報で寝るのがおそかったケエ・・・眠たいよノオ・・・ああ、きもちええノオ・・・畳の上は・・・」
柔道場の畳の上に制服をぬぎ、それぞれの枕元の窓をあけ大の字で眠りにつきました。
時々たんぼをわたってくるそよ風が、うっすらと汗をかいた肌に心地よくそのころの一番すきな一刻でした。