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報告2 福島原発事故「避難」を経験して思うこと

 福島県いわき市で被災し、その後の避難体験を経て、伝えたいことはたくさんあります。仕事が保育士だったからか、子育て中のお母さんに、子どもを守りたいお母さんには、知ってほしいことがたくさんあります。

 一番伝えたいことは、「緊急時には、自分の想いだけで動いてほしい」ということです。そのために、自分の気持ちをストレートに言える相手と一緒に動いてほしい。それができなくて苦しんだお母さんは、福島県にはたくさんいたんじゃないか、と思います。

 私の知り合いにも、兄弟姉妹家族、親戚などでかたまって避難したことによって身動きがとれなかったという人がたくさんいました。子どもを守りたくても、その前に一緒に行動している人の顔色をうかがってしまうんです。「子ども」ではなく一緒に行動する「みんな」のことを考えなくてはならないんですね。だけど、本当は、誰かの命を背負って逃げるほど余裕はありません。自分の命を捨てても自分の子どもを守りたい、と思ったら、非情に聞こえるかもしれませんが、他の人は選べないんです。

 「自分の家族は自分で守る」これは戦争と同じだったのかな、と思います。火垂るの墓を思い出して「ああ、あの世界に近い」と思いました。今回の原爆絵画展の絵を見てもそう感じましたが、子どもの命を守ることに母として専念しなくてはならない状況が、あの原発事故の後には何度もありました。

 避難を決めたときのことを、今でも鮮明に覚えています。とにかく「子どもを外に出してはいけない」と直感で思いました。空気が重く、頭がおさえつけられるような感覚。胸も苦しくて、「何かおかしい」と思いました。今思うと、絶え間ない余震で一睡もしないまま情報収集していたため、感覚が研ぎ澄まされていた、というのもあったかとは思います。それでも、どうしても子どもを外に出したくなかった。その時、私を突き動かしていたのは「情報」ではなく、子どもを守らなくては、という肌で感じた「勘」でした。緊急時には、母の「勘」を頼りに、子どもを全身で守ってほしい、心からそう思います。