"平和の原点"を見つめ、この地球から核と戦争をなくしましょう。
このサイトは、埼玉県坂戸市で毎年行われる「ヒロシマ市民の描いた原爆絵画展」の記録を掲載しています。
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メディア掲載

日本農業新聞に絵画展記事が掲載されました。

原爆絵画展〜豊かさの中に惨劇の歴史共有

 わが国の安全保障と平和が大きな転機を迎えている。日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)を実行に移すためのガイドライン関連法が今年5月に、国を象徴する国旗・国歌法が今月9日に成立した。いずれも国民に重要な問題だが、国論を二分したままの見切り発車となった。地域で平和を訴える人々の戸惑いは深い。今年は終戦から54年目、平和運動の今を追った。

坂戸で原爆絵画展

 広島市民が被爆の様子などを描いた原爆絵画の展示会が、今年も埼玉県坂戸市で開かれた。「ガイドライン関連法は、戦前の国家総動員法に、通信傍受法は治安維持法に置き換えられるのではないか。」 実行委員会の代表を務める川崎正司さん(73)は顔を曇らす。

 30年余りの教職から退いた後も、教師仲間や主婦らと「教育を語る会」を続けてきた。原爆絵画展を開く話が持ち上がり、当初からメンバーの一員として加わっている。「物が豊かになった間に、何か大切なものが大きく抜け落ちているのではないか。」川崎さんの胸に危機感が募る。「自分の力でできる範囲の活動をしていきたい。必要なら来年も実行委員会の代表を務める。」と決意を固める。

 54年前、海軍の飛行予科練習生(予科練)として特攻隊に配属された。死も覚悟した。体当たり攻撃の訓練を重ねる中で終戦を迎えた。 戦後の混乱。川崎さんの新しい支えは、九条を中心とした日本国憲法の平和主義と内村鑑三のキリスト教無教会主義。「剣をためて鍬となし、戦闘のことは再び学ばざるべし。」旧約聖書のこの言葉がより所となる。開拓農民として、陸軍の坂戸飛行場跡地に入植。10年間鍬を手に、野菜や陸稲栽培に取り組んだ。その後、教員となって、30年余り、中学校の教壇に立ち、子ども達に平和への思いを伝えてきた。

 今、確信に近い思いを抱く。「現代の戦争に銃後はない。軍事力では国の安全は守れない。国同士の話し合いと、減反をやめて食料援助をするなど、世界平和への貢献が図れないものか。」

 (日本農業新聞 1999.08.12 朝刊)