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22. 14歳の北満

大井町 林勇(76歳)

 戦時中、「満州開拓青少年義勇軍」という組織があった。14,5歳の少年が中心で、昭和13年(1938年)の第1次から20年の8次までに、8万6千余名が旧満州へ送り、うち、2万数千名の犠牲者と満州開拓史に記されている。また戦後は侵略の加担者とも報じられ、不名誉な存在にされていた。

 私は昭和18年度の元義勇軍で、同年3月に茨城県内原訓練所に入所し、9月に北満の嫩江(トンコウ)へ渡満している。しかも東京から初の郷土中隊(250名)とあって、都や国民学校関係者の期待も大きく、その壮途は出征兵士並みの見送りだった。思えばいまの中学3年生の年で、未知の地満州へ旅立っている。

 満蒙開拓とは時の国策であり、「王道楽土の建設」「五族協和」等と謡い文句に、学校の先生は志願を強制してきた。他に陸軍幼年学校や少年航空兵等があったが、弱視のため私は義勇軍を選んだ。でも国のための誇りに変わりなく、われに続けと学校で答辞している。

 満州の寒さは先生から、ペチカがあって壁が温もり、心配ないと聞かされていた。それは燃料が充分にあってのこと。蒔の補充が少ない新参中隊には、零下40度の極寒は非情で弱き者から命までをも奪ってきた。

 寝るときは両膝胸に海老のごと、布団の襟は寝息が凍って霜となり、寝返り打てば頬に冷気が擦りつく。しかも一冬で十数名の凍死者、さらに数十名の凍傷患者、受け入れ体制の不備とはいえ、逆らうことは出来なかった。

 そんな中、週に一度の歩哨勤務があった。身丈より長い三八銃を持ち、極寒に耐えてたつ真夜中は、襲い来る睡魔との闘いだった。スーと入る気持ちのよい眠り僅か2,3分だが、はっと気づくも暫し止まらぬ身震いは、覚めねばそのまま凍死と聞かされた。

 「知る星は三ツ星北斗流れ星他は降る如し歩哨の北満」。この歌は朝日歌壇に掲載(99年10月31日)されたもので、14歳を思い返しつ詠んでいる。大円形を描く地の果ては、暗黒の雪原と夜空とをくっきり分け、無数の星が歩哨時の睡魔を払ってくれた。そんな北満を思いつつ、教科書問題に目を向けてみた。

 4年前、中国外務省より歴史教科書問題で8項目の修正要求案が公表された。特に旧満州に関しては、王道楽土の建設、土地の強制的占領や大量の移民等を列記して、教科書に載せるよう要求してきた。だが今回も無視したようで、中国でのデモ騒動もその一員なれば、今こそ侵略だったと叫びたい。

 7年前、春日部市立中学校の皆さんが「教科書が書かない戦争」と題し、義勇軍を調べていることを知った。その文書には「王道楽土のうそ、中国人の土地だった」「2万3千人が死んだ」「なぜ教科書に載せないのか」等等を掲げ、批判の的を世に向けていた。そんな生徒の声さえ無視した、「新しい歴史教科書を作る会」に反省を求めたくなる。