"平和の原点"を見つめ、この地球から核と戦争をなくしましょう。
このサイトは、埼玉県坂戸市で毎年行われる「ヒロシマ市民の描いた原爆絵画展」の記録を掲載しています。
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ヒロシマに学ぶ埼玉子ども代表団報告

ヒロシマに学ぶ埼玉子ども代表団

 代表団派遣の話があった時、母に相談したら「ぜひ行きなさい」と言われました。何にでも慎重で心配性な母が即OKを出したのにはわけがありました。

 母が学生時代に広島出身の友達の家に遊びに行った時に、その友だちのお母さんが被爆者で、いつどんな病気を発症するかわからないと聞かされ、自分の身近にそのような人がいることに驚いたこと。さらに、平和資料記念館で、全身やけどを負い、着ていた浴衣が、焼けただれた体に張り付いた女の人の姿を見て、思わず声をあげそうになったこと。広島焼きと宮島観光を楽しみにして行った母にとっては想像もしていなかった驚きだったそうです。僕も衝撃を受けるだろうけれど、自分の目で見るのと見ないのとでは全然違うから、こんな良い機会にぜひ行きなさいということになりました。

 平和公園では原爆ドームを見ました。歩いていると、最初は木の陰になっていて分かりませんでしたが、視界が開けるといきなりその異様にな姿が僕の目に飛び込んできました。今では原爆ドームの周りには世界で初めての原子爆弾が落とされたとは分からないほどたくさんのビルが建っていますが、てっぺんが骨組みだけになった原爆ドームから61年前に落とされた原子爆弾の威力がどんなにすさまじいものであったかを想像させられました。あの大きな建物が骨組だけになっていたので驚いてしまいました。

 そのあと広島平和記念資料館へ行きました。資料館ではたくさんの遺品がありました。被爆者が身につけていた服や時計、爪や皮膚、髪の毛までも展示されていました。母から聞いていたような、背中が焼けただれた人の写真もありました。ここに来れば誰でもが一目で原子爆弾の恐ろしさがわかると思いました。

 2日目は、「メッセージ From ヒロシマ 2006」に参加しました。これは、核も戦争もない平和な世界の実現を目指して開催されるイベントです。この行事には、外国の人たちも参加していました。平和についての自分の思いを書き込んだ木のブロックをつなげてモニュメントを作ったり、広島の小学生がまとめた、被爆した植物に関するビデオを観たりしました。踊りを踊って海外の人との交流も深めました。核拡散防止条約会議で初めて若者によるスピーチを行った中の一人も来ていました。このように、世界中の人々が協力して平和の大切さを語っていけば、戦争や紛争がなくなると思います。しかし、現実にはまだ核兵器を持っている国や核兵器を作ろうとしている国がたくさんあります。でも、それはおかしいことなのだともっと大きな声を出すことが大切だと思いました。

 3日目は、広島平和記念式典に参加しました。8月6日はとても暑かったです。ですが、被爆者はもっともっとひどい灼熱地獄を体験したと思うと、これくらいで暑いと思った自分を恥ずかしく思いました。

 今、世界には2万発を超える核兵器があるとされています。核兵器を作ることは人間しかできません。しかし、核兵器をなくすことも人間にしかできません。ですから、これからもたくさんの行事に参加して平和について考えていきたいです。