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36.原爆の惨事を伝えたい

朝霞市 杉長好子(82歳)

 原爆の惨事を残したい。教え子まで老いてどこにいるやら・・・。気分はまだ争っているようでも体がついていきません。

 すべて恐ろしい運命を変え、人生を狂わし、憎い憎い馬鹿な戦争、広島県から親類がみんな亡くなり、教え子はまだ残っていますが・・・、頼るものではなし、子供を頼って見知らぬ、初めての地、朝霞に14年10月13日、夫とともにマンションを求めて住んでいます。

 その間、入院、手術、翌年自殺未遂、そのため帯状疱疹で20日間入院、昨年腰部背柱管狭窄症(下肢症)で入院、現在その余韻、痛みひどくおまけに肩症炎、これは近く手術の予定です。 被爆後患い患い生きてきました。しかし往生できないことに落胆しています。

 戦中戦後苦しみながら生き抜いてきたもののみ知る、日本人の犠牲者。お国のためと思い、父、母、兄、妹、親族、教え子、知人、死んで逝って、私は残され・・・。

 変わり果てた日本人の心、汚い汚い政治家達も知っています。青春のすべてが終わった葉月かな。思えば悶々としての卒業、落ちて落ちて学力まで、信じることの出来ない人の心切実に思います。

 戦中、印ビルマ国境で自爆を遂げた私の友の兄、学徒で出ていた。現広島大学(学徒)当時、勤めていたときは(青年師範)、広島教員養成所の生徒、けなげな手紙、その生徒達原爆で死去。お貸しすることは出来ませんが家に見えて移されるのでしたらどうぞ・・・いつでもいらして下さい。

 死んでいったものは悲しい、憎んでも憎んでも憎みきれない戦争、絶対に起こしてはならない。

 戦争によりいい生活をしたものは別、馬鹿な戦いするものなし、このことにつけてはどんな応援でもします。

 昨今は特に怖い。走書の乱筆お許し願います。
 がんばって・・日本人これ以上の惨事を起こして苦しめないように・・・。