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被爆体験

小方澄子

※埼玉県坂戸市で行われた2002年第10回原爆絵画展特別企画で、語り部 小方さんが語られたお話をまとめたものです。

 皆さん、こんにちは。紹介していただきました小方澄子と申します。
私は、被爆体験を57年間、語ることができませんでした。13歳の私の胸に、地獄といいますか、ほんとうに、あまりに悲惨な状況が焼き付いて語ることができませんでした。でも、今年の6月、市民団体の方や、また、親戚からぜひ語ってもらいたいと言われまして、私にも語り継ぐ責任があると、生き残った者の責任があると思いまして、小冊子にも出させていただきまして、今日は、ほんと、二度目なのです。市民団体で13人位の方の前で語って、今日で二度め、お聞き苦しいところがあると思いますが・・・。

 昭和20年8月6日。朝8時15分、一発の原子爆弾で広島の町は壊滅しました。その日の死者は5万とも6万とも言います。私はその時に、前の日の空襲警報発令が続きまして、8月5日の夜、一睡もできませんでした。それで体調を崩していたので、その日は学校を休みました。学校に行っていたら、ちょうど爆心地の前を通って通学して、学校がありましたので、もうほんと蒸発していたと思います。
 でも、奇跡的に、ほんと学校を休んでいたので、屋内で被爆しまして、確かあの、2階に吹き飛んだと思うんですね。私はすごい轟音とともに家の下敷きになって気絶したと思います。気を失っていたと思います。
 そして、しばらく、私の名前を呼ぶ伯母の叫び声で気が付きまして、伯母が1枚ずつ瓦を剥がしてくれたそうです。私は地上にはい上がりました。その地上も火の海でした。で、瓦礫の上を、3歳の弟を背負いまして、伯母が誘導してくれる西の方へ、西へ西へと逃げました。
 でも、逃げる途中、道がないのでもう瓦礫の上を、人が瓦礫から這い出た中に落ち込んだり、もうすごい困難な中を、橋までたどり着きました。橋の欄干はもう燃えて、川の中には人がいっぱいでした。水を求めて川の中に飛び込んだ方とか、いろいろと人がたくさんおられましたんで、橋を渡って、さらに西へ西へと逃げました。そして次の橋を渡り、川にさしかかった時、もう力尽きました。川辺で背中に手をやりますと、3歳の弟はちゃんと私の背中にしがみついていました。私は、弟を抱きしめて、涙があふれました。
 そしてしばらくすると、もう黒い雨がすごく夕立のように降ってきて、辺りの人が真黒に染まっていきました。私は呆然と見つめるばかりでした。我に返って自分の姿を見たら、ボロ着をまとったように、もうボロボロになって、自分も黒い雨に染まっていきました。で、もうそこらは死体がごろごろ。真っ赤に腫れた死体が転がっていました。そして、火傷した人は両手を前の方にぶら下げて、あの死の行進のごとくでした。
 で、その日は、その川のほとりで夜を明かし、あくる日には、もう救援活動の方々が。もらった「おむすび」はすごく忘れることが出来ませんでした。
 それから1週間、山の中とか野宿するんですけど、もう嘔吐や下痢が始まり、川の岸からは全然上がれず、もうそこで用をたしました。それが毎日続きました。伯母がバスで1時間ぐらいかかる高田郡郷野村という田舎から、家族の者を探しに出てきまして、2日間、3日間探したのですが全然見つからず、その後、私らに逢いまして、「ここらにいたら死んでしまうから」と言って、トラックで、高田郡郷野村というところへ連れていってもらいました。
 その途中も、もう死にかけた方とか、けが人とかみんなも一緒に積み込まれて連れて行ってもらいました。
 それから、1週間たったころ、田舎の縁側で伯母と二人で髪をときましたら、二人とも髪が全部束のように抜けました。そしても伯母がこの状態になったら二人とも助からないから、天国で逢いましょうと言いました。
 それから間もなく高熱が出ました。二人とも、家族4人は亡くなると思っていたそうです。私は意識不明のまま、その状態で、伯母が亡くなった時も全然わかりませんでした。その後、皮膚のあちこちがすごく腫れ上がり、そこから膿が出て、治癒するのに、半年かかりました。うつぶせに寝たままで、治癒した痕は全部ケロイドになって残っています。
 ほんと、家族も助からないと思っていたそうですけど、奇跡的に助かりました。
 弟たちも秋が深まるころには、髪が全部抜けました。
伯母は内臓から出血し、放射能のために下血が続き、9月4日に亡くなったそうです。
 ほんと、天皇のために盾になって死ぬという教育は、私らの時代は骨の髄まで染み込んでいましたけど、伯母が死ぬことはほんと残念だったと思います。

 そのようなことで、私は奇跡的に助かりました。でも、今の世の中不安でたまりません。
私もこれから被爆者の生き残りとして、被爆体験を語っていこうと思います。
核兵器を使うことはまさに人類が経験したことのなかった、大量無差別殺人行為と思います。
 皆さん、この世に核兵器は一切必要ないと思います。でも、今の世の中は不安でたまりません。核兵器のない、希望の持てる世界を創るために、平和の友を広げていきましょう。
 思うように話ができずすみません。
私の話は、これで終わります。ありがとうございました。